宮川香港有限公司
1996年5月24日訪問
reported by 堀川 武史
プロフィール
話の内容
- 香港のコスト高にともなって1989年
深センに工場を移転進出を決めたのですが、
中国との調印の日が、
あの天安門事件の1週間後だったそうです。
当時、事件の影響で
「中国ビジネスは危ない」
との説が流れました。
ところが、その説を打ち消すために中国側は、かえって歓迎してくれ、
当時としては考えられるだけの優遇措置が与えられそうです。
今考えると、この事件直後の進出は「きわめてラッキーなことだった。」と言えるそうです。
また、石井社長によると
同社が逆風の中を突き進めたのは「
判断が日本本社ではなく、香港の現場で行われた」
からだということです。
日本で経営幹部が考えていることと、実際の現場の実状把握には必ずズレが生じます。
「現場だからこそ、正しい判断できた」のだそうです。
工場の社員の中に国の海外支援費の援助金を受けている方が一人いらっしゃって、
中心的な立場で活躍されているということです。
この補助金の制度は、発展途上国支援や指導力を高めるための人材の育成が目的で、
日本で3週間 言葉の研修をしたあとに
海外に進出している企業の中で実際に技術などを学ぶ
というような制度だそうです。
このような人材が海外進出の時に一人でもいれば、
費用面でも助かるし、言葉の面でも研修が役に立つとのことです。
この制度は、労働省の設けたものですが、他にも、外務省、通産省など
いろいろな制度があるので研究し、利用することを考えるようアドバイスを受けました。
深セン市
- 面積でいうと
深セン市 = 東京都
日本とは逆で、市の中に県がある。
深セン経済特別区 =
名古屋市とほぼ同じ面積。