香港・珠海・深せん研修
       終えて思うは

by増沢久之

1996年5月22日から26日訪問


香港は今日も元気で混んでいる
 ビルの上に積み重なった 小屋の軒先を 飛行機の右翼が かすめそうになった後  着いた空港は海の中に突き出していました。窓から棒に吊った洗濯物が見えたのと 海がとても汚いのが印象的です。バスはエアコンが利いて 快適ですし、海底トンネルも  電波式チケットで渋滞しながらも通れたし、新しい空港や、道路や、ビルの工事もガンガンやっていて、 人もあふれていて 香港は活気に満ちています。八十二銀行香港支店の方のお話にも  ダイナミックに躍動する この「アジアの臍」の息吹を ひしひしと感じられ  日本の製造業の未来に対する不安感を一層 つのらせました。ホテルの立地条件にも恵まれ、 下町の市場の活気も、路地の人混みも、躍動する街も、カラオケの真価も、堪能させられました。


珠海は和む
 珠海は 香港の雑踏から1時間の 快適な船旅で着きました。 客引き風の方が少し居るだけの九洲港は 暑く 海辺はリゾート地としての発展もしている所で、 広い道路に奇岩が はみだしていました。内陸は広い広い土地があり うらやましいほど発展途上です。 バスの振動はすごいのですが なにかしら心和むのは 人の数の少なさのためでしょうか。 花あふれ、信号は無く、ロータリー式交差点をヒヤヒヤ抜け、橋桁にブロックをのせただけの高架をくぐり、 ビールのコップに注がれた熱いウーロンティーに ドキドキしました。 広い荒野と、菊畑の中で常に仕事を探しているワーカーさんの卵は どこに潜んでいるのでしょう。 肝炎と診断されてしまった あの子たちはどう考えるのか、考えないのか。  でも はにかみながらも 「こんにちわ」と挨拶してくれた前で 一瞬固まってしまった自分は何・・・。

秩序は雑然の中から生まれるか
 日本人の(私個人の?)尺度からすると かなり粗雑で 汚い街・深せんは建設の渦の中にありました。 目指す物と、価値観の違いからだけでは わからない、何かが このアジアの一角にあります。 竹足場で囲われた ミラービルの槌音高く響く建築現場では 少女から老爺までサンダル履きで  土を運んでいます。 やたらと悪魔を吐き出す唾は そうか生まれた時からの習慣なんだ と納得しますが、 いたいけな少女がそこかしこで けなげに稼いでいるのには、考えさせられました。

 「ハイリスク・ハイリターン」、「中国四千年の知恵」、「全ての状況把握と、意見は当たっている」、 「変える、代える、還る、返る、買える、交える、帰る」キーワードはいっぱいあって、 結局<何もなかったから、何でもあり>で ここは成長しています。

香港に戻ったら
 お客が日本人しか居ない レストランで チャイニーズロシアンルーレットに大当たりしながらも  香港の街を覗いて歩くと 人も物も あふれています。これは食い過ぎです。 どっと冷や汗が吹き出してきました。

今振り返ってみて
 当社はこのままの形態では 中国にうって出られないでしょう。機械装置が重すぎるだけではなくて、 腰も重たいからです。ではどうするか、現状に甘んじているのはとっても楽なんだけど、 何かを変えていかねば・・・。技術、品質、早さ、CSにもっと特化すべきでしょうか。 香港に出店ならぬ出机を構えてると良いかな。特殊な技術力を持ち出すか、 軽合金精密金型鋳造を携えていくか、廉価の銅合金を模索するという手もあるけど・・・。

日本人の持っている過剰品質の夢を頼りに、逃げるかな。
 「岡谷は女工哀史の世界がお得意」だなんて言われるのは心外だから、 かと言って「技術は人なり力なり」と言いつつも 国は国内を見失っているし、と ここで  やっと何とか基本思想を持つべきだと 今日この頃 脅迫観念にさいなまれています。

ツヅケテ・・・
 他のアジアも もっと見たい、知りたい、食べたい!                    


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